2009年3月2日月曜日

ボディスナッチャー 恐怖の街/Invasion of the Body Snatchers





ジャック・フィニイの名作SF小説「盗まれた街」を、「ダーティハリー」のドン・シーゲル監督が映像化した1956年の古典的SF映画の名作。 スタンフォード劇場での2本立てのもう1本がコレでした。  




78年の「SF/ボディスナッチャー」,、93年の「ボディスナッチャーズ」、そして記憶に新しい2007年に公開されたニコール・キッドマン主演の「インベージョン」と、過去3回もリメークされていることでも分かる通り・・宇宙からの侵略者(?)に街中の人間の身体が乗っ取られる・・という本作のプロットは実に衝撃的。 「ウルトラセブン」の名作エピソード「狙われた街」も、この作品から発想されていると言えるでしょう。



宇宙からの侵略をテーマにしたSF映画とは言え、宇宙船も宇宙人も全く出てこない・・・、つまり特撮も殆ど無し。  出てくるのは巨大なサヤエンドウと、そこから生まれてくる風船のような身代わり人体(ダッチワイフ?)くらい。  



Mill Valleyをモデルにしたというカリフォルニアの架空の街Santa Miraの住民が、一人、また一人と奇妙に変貌していく。   こういう郊外の普通の街だけで異常事態が発生する・・という設定が気持ち悪さを増幅させるよね。

この異常の背景には想像もつかない秘密があるようだ・・と気付いた主人公の医師マイルズは、美女ベッキーと二人、その秘密に迫りつつ、チャッカリと彼女とのラブラブの炎を燃やし・・・。  返す刀で(?)巨大サヤエンドウも発炎筒で焼却処分の刑に・・。



映画の後半は、この二人が、サヤエンドウ人間(ボディスナッチャー)から如何に脱出するか・・という、ハラハラドキドキの展開。 SF映画というよりは、スリラーの雰囲気。  マイルズの医院から二人で逃げ出す場面など、なんということはない雑居ビルでのロケなのに、凄い緊張感がアリアリで、こういうのは監督の演出力の表れ。 名匠ドン・シーゲルならでは、と言えるのでしょう。

美女ベッキーを演じるのは、当時20世紀Foxが「ビビアン・リーに次ぐ“メロドラマの女王”」として売り出そうとしていたらしい、英国出身の女優ダナ・ウィンター嬢。 昔の女優さんは本当に綺麗だな・・・とクラシック映画を見るたびに思いますよ、はい。 





ホントに、す・て・き・・・。  

自分もサヤエンドウ人間にされてしまうかも知れない・・という恐怖心を、愛するマイルスに激白するベッキー。  

「アタシはサヤエンドウになんかなりたくないわ。  感情を持ったままに生きたいの。  そして、普通に生活して、貴方の子供を産みたいのよ~~~~~」


ここで、場内の観客が一斉に、なんとも言えない、感嘆というか驚愕という、大きな声をあげた・・・


「うあぉ~~~~~~っ」


ベッキーの激白が、あまりにも切なかったから、というのもあるのでしょうが、どうもソレよりも、こんな美女が男性に面と向かって・・・


【貴方の子供を産みたいの!】


・・・などと絶叫すること自体が、アメリカ人の常識(道徳心?)からすると、かなり異常なことだったのではないか、と。。。。


もう一つ、観客の反応で面白かったシーン。

サヤエンドウ人間の侵略を外部に伝えようとするマイルズが、警察やFBIに電話するが通じない。
交換手を通して、サクラメントの州政府に電話するが、これまた上手く通じない。
どうやら電話交換手も既にサヤエンドウ人間にされてしまったのかも知れない・・。

切れたマイルスが叫ぶ・・・

「大変な事態なんだ!  知事と話しをさせてくれれれれれ!!!!」

ここで、場内、大爆笑。。。。

当然、観客全員の頭の中にあるイメージは・・・

【ターミネーター vs ボディスナッチャー】

キワモノだねー、コレは・・・。

最後の最後は、マイルスとベッキーが大勢のサヤエンドウ人間に追い掛けられ、2人で走り回って逃げ回るという、まるでゾンビ映画みたいな展開に。  






そして、衝撃的かつ悲劇的なラスト・・・。

素人の私が見たって、この映画は凄まじく少ないバジェットと撮影日数で作ったのだろうな、と想像できる作品。
しかし、そういった悪条件をものともせずに見事な映画に仕上がっていて、この時代の映画屋さん達の力量は本当に素晴らしいとしか言いようがないです。

2009年3月1日日曜日

戦慄の七日間/Seven Days to Noon

スタンフォード劇場での2本立て、最初の1本は“Seven days to Noon”、邦題「戦慄の七日間」。
1952年度の米国アカデミー賞で最優秀脚本賞(Best Story)を受賞した英国映画。

今回はUCLAのライブラリーの保管されている非常に貴重なニトロ・セルロース・フィルムでの上映でした。



映画のついての解説とストーリーは以下の通り。 (Variety Japanからのパクリ)

【解説】 ポール・デーンとジェームズ・ブランドの原案を、フランク・ハーヴェイとロイ・ブールティングが脚色し、ロイ及びジョン・ブールティング兄弟が製作、監督した一九五○年度作品。ロイ及びジョンは双生児兄弟で独立プロを経営し、「ブライトン・ロック」等の作品がある。撮影はこのプロ付きのギルバート・テイラー、音楽はジョン・アディソンが担当している。主演は「フリイダ」のバリー・ジョーンズ、ダブリン・アベイ劇場のシーラ・マナハン、ブールティング作品に出演していたオリーヴ・スロウン、「舞台恐怖症」のアンドレ・モレルら。他にヒュー・クロス、ジョーン・ヒックソン、ロナルド・アダムらが共演する。

【ストーリー】 ある日、ロンドンのダウニング街の首相邸に、一通の手紙がまい込んだ。送り主は、国立科学研究所勤務の核兵器研究者ウィリントン教授(バリー・ジョ-ンズ)である。この首相あての手紙には、“もしイギリス政府が核兵器の製造を中止しなければ、新開発のU・R・12爆弾を一週間後にロンドンで爆発させる”という教授の意外な主張が書かれていた。半信半疑のスコットランド・ヤード捜査課長フォランド(アンドレ・モレル)が、念のため研究所に連絡してみると、爆弾と教授は、間違いなく行方不明となっていたのである。捜査陣の努力にもかかわらず、教授の行方は皆目わからず、教授の指定した爆発時刻は、次第に近づきつつあった。そして、その日、ロンドン市は非常事態のため、ついに無人の街と化した。

第2次大戦終了5年後という時代背景が、この映画のプロットに妙な生々しさを与えていると思います。  核兵器の開発者が、その廃絶を求めながらも、結果的には自分自身が【核兵器】そのものになってしまう・・・という実に皮肉な展開。  彼は核兵器の愚かさに気付きながらも、もしかすると「自分が開発した兵器を使ってみたい」という、科学者としてのエゴに突き動かされていたのかも知れません。  

核兵器のもたらす悲劇の提示・・、そして科学者の在り方についての問題提起・・・、4年後に制作される「ゴジラ」にも通じるものがあります。  

この映画、核兵器が持ち込まれたロンドン市内が舞台となっており、今から60年前の同市の様子が多く捉えられています。   街行く人々のファッションや通行する車のモデル、ビルに掲示された看板等々、時代を感じさせます。  

映画は【時代の証人】と言えますね。


こちらロンドンの地下鉄のエスカレータです。  60年後の今と殆ど変わっていないことが分かります。

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2009年2月27日金曜日

スタンフォード劇場/Stanford Theatre


パロアルトの歴史ある映画館Stanford Theatreに行ってきました。

Stanford Theatreは、1925年に建てたれたギリシア/アッシリア調の劇場で、1987年にパッカード財団によって買収、修復されてからは、映画黄金期である20年代から50年代のクラシック映画専門に上映しています。



装飾の絢爛さは、まさにRoaring 20'sそのもの。
上映の幕間にはウーリッツァーのシアターオルガン"The Mighty Wurlitzer" が、オーケストラスポットからスルスルと上がってきて、ゴージャスな演奏を披露してくれます。 ワンマンオーケストラと呼ばれ、かつては無声映画の伴奏に使われたと言うこの"The Mighty Wurlitzer" の演奏だけでも、当劇場に足を運ぶ価値ありです。



アメリカには、こういった【歴史】をシッカリと維持、継承していてくれている人たちが居て立派だな、と思います。 劇場には、【黄金時代】のポスターやチラシ等、貴重な資料を展示した部屋も併設されており、映画ファンならば歓喜することうけあい。


映画は通常2本立てで上映されます。 それで入場料が大人$7、シニア(65歳以上)とユース(18歳以下)が$5という良心的な設定になっているのだから素晴らしい。
この日は平日で、流石に1,400名(?)というキャパシティの劇場内はガラガラでしたが、それでもシニアのファンを中心に、スタンフォード大学の学生さんと思われる若い男女や、上映映画が映画だっただけに(詳細別途)“おたく”っぽい方の姿も少なからずありました。
ビジネスと考えれば当劇場の運営は大赤字でしょうが、このように米国文化が継承されていくことは本当に素晴らしいことです。
詳しい劇場の歴史は以下のページから(英語)。